2011年09月12日

ドアを丁寧に閉めることをおろそかにすると…


「ドアは静かに閉めなさい!」
おばあちゃんによく言われました。

今でもドアを確実にゆっくりとガッシャと鳴るまで
閉めてしまう癖があります。

何でしょう、

例えば、就職活動の面接後におじぎしてありがとうございました。
のあとにドアを閉めるじゃないですか、あんな感じで閉めてしまうのです。

大切にしっかりと確実にですかね。

たまにものすごい音でドアを投げつける音を聞くと
何であそこまで雑に扱う必要があるんだよと…

思うときがあります。

要するにおばあちゃんは、
雑な人間になるなということを言いたかったのだと思います。

ドアを閉めることをおろそかにすると、
性格・仕草など他のことにも影響してしまいますものね。

ちょっとしたことなんですが、
人間形成する上で大切なことだと教えてくれていたのです。

毎度のことですが、敬老の日におばあちゃんに何を贈ろうか?

うちは夏になると
玄関のドアを開けっ放しにすることが多かったので、
留めておける石みたいなものがいいかもしれません。

敬老の日まであと1週間、皆さんは何を贈りますか?
 
posted by kosakaen at 10:19| 敬老の日

2011年09月05日

ご飯食べている時ぐらいはテレビを消しなさい!

 
母親の実家に行くと、夜以外はテレビがついていませんでした。
音がなくてさみしい家庭だなあ〜と感じる人がいるかもしれません。
 
逆に言うと、
何かしらの音が鳴っていることが当たり前になっていた
という見方もできます。
 
昭和50年後半から平成10年くらいまで
小学校・中学・高校とテレビを見ることが当たり前でした。

音楽を聴いたり、ゲームをしたり、漫画を読んだり、
遊ぶ方法は色々ありましたがテレビに勝るものはありませんでした。

そんなわたしも
一人暮らしをするようになってから、テレビを見なくなりました。
というより、テレビが家にありません。

地デジと騒いでいましたが、まったく興味がありません。

最初はスマートフォンを使って小さな画面で見ていましたが、
そのうち見たいと思う番組がなくなりました。

※その時はTBSの「新参者」という日曜日のドラマが楽しみでした。

さらにニコニコ動画やyoutubeの普及で
自分の見たいものを自分で選べる環境が心地よくなってしまったのです。

これが良い習慣か悪い習慣か分かりませんが、
技術の進歩・時代の流れが少なからず左右していると思います。

話か相当ずれてしまいましたが、
おばあちゃん家は本当にいい意味で静かでした。

おじいちゃん・おばあちゃん・わたしと
3人で食べる朝食時は黙々とご飯を食べます。

おばあちゃんがたまに発する言葉は

「忠士、おかわりは?」

本当、これぐらいです。

※ちなみにおじいちゃんはまったくしゃべりません。

明治生まれの人が
みんなこうだとは思いませんが、
うちはこういうスタイルでした。

頑固と言うか、
自営業独特の感じなのかもしれません。

何でしょう、ご飯ぐらい黙って食べようよ、
みたいな古い??考え方が心地よく思うことがあります。

わたしは明治生まれでも対応できたと思います。

毎度のことですが、
敬老の日におじいちゃんにしてあげたいことは、
明治時代にタイムスリップしてお酒を酌み交わしたいです。

そこで一杯おごろうと思います。

お互いしんみりと(^^)

posted by kosakaen at 19:50| 敬老の日

2011年08月19日

ご飯粒を残したらいけない…


この言葉はおばあちゃんの名言で、
今もなお自分のためになっています。

とにかくおばあちゃんには、口すっぱく言われました。

私の茶碗のご飯粒ひとつひとつをつまみ、
食べている姿を見た時、
絶対に残してはいけないと子供ながらに感じたのだと思います。

どうしてこんなにもご飯粒を残してはいけないことにこだわっていたのか?

おばあちゃんのルーツを辿ると

明治時代初期、
おばあちゃんの親は乾物屋さんをやっていたそうです。

※今では乾物屋さんって言わないかもしれませんが
昆布・かつお節・醤油・乾椎茸などを販売しているお店です。

食品を扱う自営業だったので、家が厳しかったのかもしれません。

ちなみにおじいちゃんの親は農業をしていたそうですが、
一言も注意されたことはありませんでした(^^)

おじいちゃんは自分にそっくりで、
めちゃくちゃマイペースな人でしたよ。

話は戻りますが、
自分の中でご飯を残していけない=悪みたいなものがこびりついているのです。

お米を作ってくれた人に申し訳ない。

貧乏性なのかもしれませんが、

おばあちゃんに怒られた以来、小学校・中学校・高校・大学と思い出しても
ご飯粒を残したことは一度もありません。

学食でもありません。

ご飯を炊いても、外食しても
小さすぎる粒が残ると気になります。

箸でとれないと食いつきます。

美味しいご飯があれば、
梅干・海苔・魚系の缶詰など何でもいい派。

これもおばあちゃんの乾物屋さんの名残が
染み付いているのかもしれません。

いろいろ考えてみると、

自分の生活に密着することが、
おばあちゃん・おじいちゃんの名残というか、
いろいろよく似ていたので、
不思議なものだと感じました。

毎度のことですが、
敬老の日に感謝の気持ちを伝えるとしたら

おばあちゃんに
「ご飯粒残したらいけないと怒ってくれてありがとう」
と言いたいです!!!

posted by kosakaen at 21:14| 敬老の日

2011年07月16日

箸がねじれたこと


おばあちゃんの言葉、
ごはんを食べるとき、よく叱られたのが箸の持ち方でした。
朝食時じゃないんですよね、いつも決まって夕食時。

「忠士、また箸ねじって、こう持ちなさい!」
 
子供なので箸が交差したり、ねじれたりすることに意識がいかなかったのだと思います。
やり直して交差しないようにするのですが、
意識してしまい、変な風に動いてしまうのです。
今考えてみれば、ここまで必要に注意された人はおばあちゃん以外いません。
親にも注意された記憶はありますが、一言程度で、
直すまできちんと指導されませんでした。
30年以上経った現在も、
おばあちゃん=箸のつかみ方を直しなさいみたいな感じで強烈に残っています。
今でも箸を持つ時にねじれていないかを意識します。
完全に体に染み付いているのです。

これって仕事でも大切なことで頭で考えているだけでは駄目で、
体に落とし込むまで行動しないとやった事実にならないのです。

覚えるまで、体を動かし続ける。
それを頭で考えアイデアにつなげる。
いきなりアイデアなんか思いつくはずもないし、
本を読んだりインプットばかりし、最悪の状況が最近まで続いていました。
今回、おばあちゃんの箸のことを思い出し、ヒントをもらったような気がします。

話は戻りますが、

いつも私の箸は肌色で持つ方に石みたい模様があり、ツルツルした渋い短い箸でした。
私は割り箸の匂いが嫌いだったので、その箸しか使いませんでした。

今でも使い捨てみたいな感覚が大嫌いで、
生活必需品は少し値段が高くても壊れるまで長く使い続ける人間です。

これもおばあちゃんから教わったこと。

思い出してみると色々新発見があります。
このブログを書いてよかったと思います。
 
今度、似たような箸を買ってこようかな♪
 
posted by kosakaen at 10:41| 敬老の日

2011年07月04日

怒ることではなく叱ることが大切・・

私はよくおばあちゃんに叱られましたが、
最近は子供を叱ることを躊躇してしまう風潮があります。

例えば、電車に乗っていてもシルバーシートに若い人が平気で座っていたり・・
昔ならお年寄りがいなくても席は空いていました。
それが当たり前でした。
私はもちろん座りませんが、
それを見て、人は人、自分は自分とする私自身がいます。

お年寄りが立っていている姿を見て
正直みんなの前で注意する勇気はない。

前回のおばあちゃんの話ではないですが、
愛情を感じてもらうことが出来なければ、明らかに間違っていることだとしても
押し付けで終わってしまうのです。

怒ることではなく叱ることが大切・・

愛情を持って叱るってどんな風な感じなのでしょう。
叱る外見も必要だろうし、内面からにじみ出るものがないと
「愛情」と受け取ってもらえないですよね。
考えれば、考えるほど、本当に難しいです。
私はまだ一人前でないので、叱る資格すらありません。
まずは自分を叱ることにします。

ちなみに叔母(母親の姉)にも未だに叱られます。
やっぱり親子なんだなあ〜ってふと思いました(^^)

おばあちゃんがもし生きていたら、敬老の日に感謝の敬老の日のプレゼントを贈りたい。
敬老の日に「子供の頃、叱ってくれてありがとう。」とメッセージを添えます。
家事が仕事だったので、
現代的な掃除機・洗濯機・電子レンジを贈っていたかもしれません。

でもその時代のやり方がありますものね。
雑巾がけ・洗濯板でゴシゴシ・台所で料理・・
きっと便利なものは喜ばないような気がします。

明治時代のど根性、自分も受け継げるぐらいの精神力を持ちたい。
それには便利なものを近くに置かなければいいのです。
何もなければ、人間力である程度動きます。
 
posted by kosakaen at 08:39| 敬老の日

2011年06月29日

おばあちゃんの言葉

おばあちゃんはかすれ気味の甲高い声で叫びます!

「こら!忠士、何やってるの!」
「階段をドタドタ登らない!」
「箸はねじって持ったらいけないでしょ。」
「ご飯粒残したらいけないでしょ。」
「よく噛んで食べなさい!」
「椅子はテーブルの下に戻しなさい!」
「ご飯食べている時はテレビを消しなさい!」
「ドアは静かに閉めなさい!」
「靴は揃えて置きなさい!」
「何やってんのよ〜も〜〜う」

子供の頃、おばあちゃん家に行くといつも叱られていました。
ただおばあちゃんの怒っている時の顔はいつも真剣。
しょぼんとして顔を見上げると、天使のようなやさしい顔が待っています。
親に怒られた記憶はほとんど覚えていない・・
しかし、何故かおばあちゃんに怒られた記憶は鮮明に残っています。

孫とおばあちゃんの不思議な関係・・

今になって叱ってくれた人のありがたみを感じます。
叱られたことすべてが大人になって役に立っています。
何気ないことが大人の品格として表れるからなのです。

それは子供の頃、いかに叱られ、
そのことを考えたかで差が出るのではないでしょうか。
たまに足で物を動かしてしまう時があります。
そんな時に感じます。

おばあちゃんは押し付けがましく怒ったのではなく、
「本当にいけないことなのだ」ということを真剣に伝えてくれたのです。
愛情を感じることができたからなのです。
そんな愛情を注げる人間になることが人生の目標です。

話がそれましたが、おばあちゃんの言葉を思い出してみました。

posted by kosakaen at 02:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 敬老の日